ツキノワグマを巡る論争

今年は、ツキノワグマ出没のニュースが連発されていました。
これについては、「熊が増えすぎ」説「熊が絶滅寸前」説とが、対立しています。
まず、「熊が増えすぎ」説ですが、論者は自然写真家の宮崎学さんです。フィールドワークで、日本中を駆け巡ってクマの写真を撮り続けていますので、その主張に説得力があります。

「奥山が荒廃して餌不足の熊は里へでてくるかわいそうな動物」、などと根拠のない使い古された言葉ばかりが一人歩きをしている。
自然界全体をはかる自分の技術のなさを、こういう言葉に転化して逃げるのはもうやめてもらいたい、と思う。
山林「荒廃」とは、何を意味しているのかを考えて欲しい。
荒廃とは経済的視点でみた林業用語でいうところの「荒廃」であって、間伐も下草刈りもされず手入れの行き届かない現在の放置林は、野生動物たちからみれば餌も豊富にあって隠れ場所も提供されている「野生天国」なのである。
だから、ツキノワグマは、ここ30年間で確実に増えている。
しかも、その増加率は右肩上がり、なのである。

(「『となりのツキノワグマ』が出版となる」byツキノワグマ事件簿)

もう一方、「熊が絶滅寸前」説が、前にブログで紹介した日本熊森協会です。

「(クマは)うんと増えているというのが、定点観測の実感です」—-と言う有名な写真家Mの言葉を紹介して、絶滅寸前のクマを、クマがうんと増えていることにしていました。写真家Mの言葉をまにうけて信じている人がいたなんて、驚きました。

わたしたちは奥山の元クマの生息地を歩き続けています。はっきり言いましょう。今や、本来のクマ生息地にはクマがいず、奥山は空っぽになっています。山に食料がまったくないという大変な事態が起きているからです。かつて、人前になど姿を現すことはなかったクマたちが人間の所に出てくるようになったのは、よほどのことがあったからで、冬篭り前の食い込み用食料を必死で求めてでのことです。その証拠に、山の実りが良かった2009年には、クマはほとんど山から出てきませんでした。こんなことは、子供でも知っています。

(「10/16 付け A新聞報道「(クマは)うんと増えている」には、驚きました」熊森協会)

どちらが正解なのでしょうか。全く正反対の両方のホームページを過去にさかのぼって読み、さらに、両者の本も読みました。
まず、「ツキノワグマ(宮崎学著)」から。熊が現代社会に適応し増えてきているのが、熊の出没が増えている要因であるという主張です。熊は賢い動物であり、現代社会への適応力もあるとして、絶滅寸前説を笑い飛ばしています。

その正反対にあるのが、「クマともりとひと―だれかに伝えたい、いまとても大切な話(日本熊森協会会長森山まり子著)」です。山が荒れ、餌がなくなってきているので、熊が人里に近づかざるを得なくなったという主張です。熊森協会の森山さんは、中学の理科の教師でしたが、「誰もやらないなら、自分が熊を救うしかない」と立ち上がり、行政や学者の《事なかれ主義》と闘いながら、運動を広げてきました。この本は、その活動の成長記録であり、胸を打たれ、勇気づけられるところがあります。どちらかというと青少年向きであり、善悪白黒つけすぎのところもあったりしますが、その分、わかりやすいです。

クマの通る大きなケモノ道は、森に風を引き込みます。木に登り、枝を折り、そこについている木の実を食べ歩くクマは、森に光を入れていきます。木に付いた爪跡からは、樹液がにじみ出し、昆虫たちにごちそうを提供します。

けものたちはみんな、土を足で引っかいてやわらかくし、樹木の根っこの成長を助けます。まんべんなくばらまかれたふんは、植物の肥料になります。

生物多様性をわかりやすく説明する文章ですね。森山さんが、クマを守る活動をする中で少しずつ学んでいったことが、わかりやすく書かれており、とても良い本です。

ただ、結論はどうなんでしょうか。私は素人ではありますが、ここまでの情報から判断するには、論理的には、宮崎さんの「増加説」のほうが、分があると思います。その最大の理由としては、

熊森協会の前掲著には、90年代前半のこととして「当時、兵庫県では狩猟と有害駆除を合わせて、年間30頭ぐらいのクマが殺されていました。生息推定数は60頭ですから、もはや絶滅は時間の問題です。(P073)」と書かれています。しかし、新聞記事によると、兵庫県内の今年8月の捕獲数は25頭、9月は47頭、、とうの昔に滅んでいるはずなのに、全然、数が合いません。目撃情報に至っては(重複あるかもしれませんが)、8月230頭、9月は420頭です。

さらに、クマが棲む森の破壊の問題でも、「図解 これならできる山づくり」の著作で知られる大内正伸さんのブログでは、こう書かれています。

これは日本熊森協会の方々の山に関する認識にも通じるところがある。

熊森では「過去に奥山の天然林が伐られて、人工林に変わってしまった。その手入れがされていなくて荒廃し、クマの食料がない」という。

それはある意味正しいが、今では間伐された人工林もあるし、放置したまま雪折れが入って自然の間伐によって植生が回復している人工林地もこのごろは多い。

そして何より、過去に西日本で吹き荒れたマツ枯れ旋風の跡地はどうなっているか? 私は、今年の5月に九州の虎丸さんの所に取材に行く途中で、岡山~広島~島根~山口の山を縦断しながらマツ枯れ跡地を撮影してきたのだが、その跡には見事に広葉樹が回復していた。

これを見るといま、日本の山は荒廃ではなく再生しまくっているようにも見えるのだが・・・。
(「西日本の森は荒廃しているか?」」大内正伸さんのブログより)

さらに、信州ツキノワグマ研究会は、ツキノワグマを保護する立場をとっていますが、しかし、このように書いています。

これらの造林地も昭和40年代になり、安い外材が輸入されるようになると多くが放置され、最近では山菜やキノコの時期を除けば人が山に入らなくなりました。放置された薪炭林やカラマツ林は人の気配も少なく、光が地面まで届くため落葉広葉樹の二次林(※1)や草本類(※2)が成長し、年間を通じてクマの食べ物が供給できる環境になりました。里山周辺がクマにとって住みよい環境に変わってきています。

うーん。心情的には、熊森協会を応援したいのですが。
宮崎さんの続編(写真集)、「となりのツキノワグマ (宮崎学著)」は、素晴らしいです。例えば、数多くのクマの糞の写真の一覧から、クマの食生活がいかに多種多様であるかが、わかります。人間に、スイーツが好きな人とそうでない人がいるように、蜂蜜に執着するクマは何度もハチの巣箱を襲いますが、そうでないクマは全く見向きもしない、という話とか、クマに関する興味深い話が満載です。なお、蜂蜜好きのクマは、全隊の1割ぐらいしかいないそうです(予想外!)。
熊は熊なりに、環境に適応する術を身につけて、たくましく生きているということが、写真で語られています。

ただ、これらの両者は、正反対の意見で真っ向から対立していますが、私には共通する部分も多いようにも思えます。結局のところ、これは、熊及び自然環境破壊の問題というより、人間の自然適応能力が低下しているという問題ではないでしょうか。

それについて、宮崎さんの文章の中で、特になるほどと思ったのは、

柴犬のように小型な犬でも、数頭あつまればツキノワグマを殺すことはできなくても集落に入り込ませないような防衛はできる。
だから、つい50年前までは、全国の中山間地集落では犬の放し飼いが普通に行われていた。
それぞれの自宅で飼われていた犬たちにも、集落内では犬社会を築いていたから、クマが出てきたりして危急存亡となれば啼いて教える。
その声を聞いて、集落全体の犬たちが応援にかけつけるといった風景が、つい50年前までは全国のいたるところにあったハズ、である。

現在では犬の放し飼いは法律で禁止されているが、人間を咬むような犬は昔から淘汰されて、従順な犬だけを選んできた歴史もあった。
そして、そこに暮らす人間も犬との接し方をちゃんと知っていたから事故そのものが少なかったハズである。
日本犬はツキノワグマ撃退にきわめて有効

「かわいそうな熊をどうにかしてあげなければ」ではなく、どうにかしなければならないのは、人間の対応能力のほうです。熊は、ちゃんと対応能力を身につけています(宮崎さんによれば)。

宮崎学さんの「森の動物日記」も、とても勉強になります。お薦めです。

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