観光まちづくり

昨日、第1回「尼崎運河を実現するためのフォーラム」に参加しました。

講師の高橋一夫先生(流通科学大学 サービス産業学部教授)は、大学教授とは思えない話し上手な方でしたが、そのなかで、もっとも印象に残ったのは、襟裳岬の話です。襟裳岬への観光客は、そこに何もないことを確認しに行くという紹介でした。これは、有名な森進一(元は吉田拓郎)の「襟裳の春は 何もない 春です」という歌のフレーズから来ています。(この歌詞自体は、「都会みたいに物は溢れていないけど、人情がある」という反語なのかな、と思いますが)

名所名跡があるから、それを見に行くという《観光というイメージに対する先入観》が、まったく否定されてしまいますね。何しろ、何もないのですから。観光の目的とは何か、作者の思いの《追体験》です。

長崎の原爆被災地を巡るボランティアガイドの話もされていました。これも、歴史の物語を追体験する旅です。

ここから、尼崎運河の観光資源とは何か。残念ながら、水が汚いことです。しかし、逆手に取ると、ここから、再生の物語が始まるということです。

尼崎21世紀の森づくりの魅力も同じです。昔から自然いっぱいのところが、今も自然いっぱい、という観光地はたくさんあります。しかし、かつて、公害の街として全国に知られた尼崎南部の工場地帯に、森を創るという再生の物語は、希有ではないでしょうか。100年かけて失ったものを、100年かけて取り戻す。その追体験(物語が進行していることの目撃者となること)が、観光資源なのではないでしょうか。

高橋先生は、「観光地づくり」ではなく「観光まちづくり」なのだ。観光客が地域と乖離するのではなく、地域の生活エリアでの交流が、求められているのだと、言われていました。この地域が、21世紀の森づくりに取り組んでいるところが、21世紀の尼崎運河再生に取り組んでいるところが、観光資源になるうるのかもしれません。

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カテゴリー: いろいろしてみた!

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