元・児童相談所ワーカが観た「明日、ママがいない」(3)

色んな人が色んなことを言ってる「明日ママ」論ですが、その中でちょっと気になった文章があったのでコメントしようと思います。ダイヤモンド・オンラインに載ったコラムで竹井善昭という人の「ドラマ「明日、ママがいない」が大炎上!あえてやっかいな問題に斬り込んだ日テレに「正義」はあるのか?」という文章なのですが、

「ドラマを見て強く感じた、
リアリティの欠如」として、

 第2話のテーマは「里親」について。虐待によって殺されかけ、舞台となる施設に入所した幼い男の子が、里親候補となる子どものいない夫婦のもとに「お試し」で預けられるという話だが、(略)僕は、これがリアリティを欠いていると感じてしまった。そもそも虐待を受けた子どもの里親候補というのは、過去にも里親経験があり、さらに専門的な知識とスキルの研修を受けた人たちだ。そのような人たちが、自分の感情にまかせてあきらかに子どもを傷つけるような行為を安易に行なうだろうか。そんな疑問を抱かせるような、リアリティの欠如を僕はこのドラマに感じてしまうのだ。

正直言って、「明日ママ」は、確かに事実と違うところは数々あります。でも、この場面はドラマのほうが現実に近くて、竹井義昭氏は、現実を知らないからこのようなことを書いて、しかも「リアリティがない」と言い切ってしまっているのです。

まず、子供に対する認識が違う。養護施設に入っている子供の大半は、広義での虐待経験あり(放置まで含めると)です。この男の子が特にトラウマが強いわけでもなく、相対的には、元気で明るい子です。

次に里親の方ですが、「そもそも虐待を受けた子どもの里親候補というのは、過去にも里親経験があり、さらに専門的な知識とスキルの研修を受けた人たちだ。」には、「は!?」現実を知っています?と言いたくなってしまいます。

確かに、経験豊富な里親も少数ながら実際にいます。でも、そういう人の大半は養子縁組目的ではありません。

養子縁組希望の里親の典型例は、子供が欲しくて、研修とかにも熱心に参加する、けど、実際の育児経験がないので、どんどん豊富になる知識とのアンバランスがどんどん広がっていく、みたいな感じです。

私もいろんな里親と接してきましたけど、けっして、意識が高い人が良い里親というわけではありません。意識が高過ぎる人って、自分の求める里親像の理想が高すぎて、現実とのギャップで、いつもいらいらしていたりする。むしろ、なんにも考えていないような、おじちゃんおばちゃんのほうが、子供にとっては良かったりします。私は、この里親ママ候補に、すごくリアリティを感じましたよ。実際に、そういう里親に接してきましたから。

「自分の感情にまかせてあきらかに子どもを傷つけるような行為を安易に行なうだろうか。」という文にも驚きます。ドラマを観ていて、あれが「安易」と感じましたか?この里親ママ候補は、真剣に悩んでいるから、感情がエスカレートしてしまったとしか見えませんでしたが。育児経験がない分、心のなかでどんどん理想がエスカレートしていって、現実の育児場面に遭遇したとき、自分の心をコントロールできなくなってしまったのではないでしょうか。私は、ドラマのこの場面は、秀悦だと思いましたが。

現実のことなんかなんにも知らないのに、勝手に自分のイメージをふくらませて、それとの対比で「リアリティの欠如」とか論じておられる。でもリアリティがないのは、評論家様のほう。別に、竹井義昭氏だけではないですが、評論家は理想だけ主張して現実を批判します。でも、現場の人間は、理想と現実をいかに調整していくかを考えます。
「明日ママ」を批判だけしているよりも、養護施設がドラマの舞台になったことを利用してやることを考えていくほうがずっといいです。

竹井義昭氏に恨みがあるわけでもありません。というか、ブログネタに使ってしまってすみません。

でも、これで感じたことは、おそらく竹井義昭氏のような認識が一般的で、リアルな児童福祉の現場は、現代日本で「リアリティがない」ものなのだと。「明日ママ」の問題点は、わかります。でも、それ以上にまず、リアルに感じてもらうことが一番大切かと思うのです(言うまでもなく制度を知ってもらうとかいう意味ではありません)。

広告

タグ:, , , , ,

カテゴリー: 考えてみた!

connect

RSS フィードやソーシャルアカウントをフォローして更新を受け取りませんか。