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小さな政府の前提として

裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)は、アジア最貧国バングラデシュ発ブランドのマザーハウスを作り上げた山口絵理子さんの自伝エッセイです。読むと元気が出てくる本なので、お薦めですが、彼女が体験したバングラデシュ社会の実情は強烈でした。役所に水道を通してもらうのも賄賂、交通事故で警官に救急車を呼んでもらうことも賄賂、取引先と契約しても、労働者を雇っても、持ち逃げ……..、誰も信用できない社会では、安心して経済活動ができない、ということがよくわかります。それでもめげないところが、彼女の素晴らしいところなのですが、ほとんどの人は、そうはできないです。

著名ブロガーであるChikirinさんのエントリー「アフリカが発展しない理由」も、アフリカの国々を例に、同じようなことがわかりやすく書かれています。アフリカは今、資源高で、ぱっと見は好景気ですが、富がますます一部に偏っています。是非、リンク先のChikirinさんのエントリーを読んでください。

道徳心のない社会では、経済は発展できないのだということがわかります。道徳と経済は、無関係ではないということがわかります。

これらの経済底辺停滞国と比べると、日本の国はまだまだ道徳心が残っているということがよくわかります。道を歩くときに、泥棒がいないかきょろきょろする必要はないし、暑い夜は窓を開けてぐっすり眠ることもできます。簡単な契約は口約束で可能です。

私が大学生の頃、授業でプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)」を読みました。中世までは後進国であった西欧で資本主義の花が開いたのは、宗教改革によって生まれた宗教心の篤いプロテスタント信者の勤勉さと堅実さ、にあるとした名著です。

また、アダム・スミスの有名な言葉「神の見えざる手」も、市場原理主義のキャッチフレーズのような誤解を受けていますが、実際には「道徳的な社会では」という前置きがついています。経済の基礎は信用なのです。日本では、国民は「国は信頼できない」と口にはしても、国の発行する通貨は信頼しています。円を受け取るなり慌ててすぐに他通貨に交換したりしません。しかし、国民が自国通貨を信頼しない国は、世界に山ほどあります。

さて、理想的に道徳的な社会を想像してください。ここでは、犯罪の頻度も低いため、治安にもお金がかかりません。ゴミのポイ捨てもないため、道路維持費用は安くてすみます。もっと極端な話、超・道徳的な善意の人ばかりの社会では、福祉はすべて自発的なボランティア行為でまかなわれてしまうため、役所は福祉行政を行う必要がないのです(極端な仮の話です)。こういった社会では、「小さな政府」が最も効率的であり良く機能します。

逆に、バングラデシュやアフリカのような社会では、小さな政府は、無法国家を意味します。政府ががんがん介入せざるを得ません。

つまり、こういうことです。

道徳を重視する人たち(保守派と呼ばれることが多い)は《小さな政府》を目指します。教育、福祉、まちづくり、そういった一つ一つの施策では、役所がするよりも、市民が自ら行うことを選択します。市民の善意が発動される場面が増えるからです。乱暴を承知で単純化すると、下の図のようになります。

ちょっと乱暴な単純化ではありますが、本質は外していないと思います。

政府(役所)というのは、本質的に《非効率》なものなのです。これは、公務員が怠けているとか、そういう問題ではありません。「効率」と「公平」は、相反します。そして、役所は、その性格上、「公平」を優先せざるを得ないのです。大きさ政府か、小さな政府かの選択は、「公平」を道徳で担保できる社会であるか、それとも制度で担保するしかない社会なのか、で決まってくるのではないでしょうか。

しかし、道徳のないままで《小さな政府》になってしまえば、どうなるでしょうか。つまり市場原理主義の社会です。想像するまでもなく、あまり住みたい社会ではないですよね。法の抜け道を探し、他人を出し抜こうと生目を抜くような社会、これは結局、本質的な活動以外のところに費用をかけざるを得なくなり、高コストで自滅するしかないでしょうね。

ちなみに、私は、道徳の基礎は「自律」だと思っています。自分のことはさておいて、他人に要求するものとは思いません。道徳教育の大切さを主張する政治家が、愛人との不倫旅行を週刊誌にすっぱ抜かれたり、こういった、「道徳を声高に主張する輩」こそ、もっとも胡散臭いと思っています。保守とは、謙虚を美徳とし、慎み深さを求め、極端より中庸を愛する生き方のことではないでしょうか。「保守」とは激論で主張するものではなく、背中で生き方として見せるものではないでしょうか。

投稿「サリム氏のインタビューより」で、「技術移転だけ発展途上国におこなっても、うまく機能するとはとても思えない」と書きましたが、その前提として、経済と道徳の関係について書いてみました。